旅行記[2006/01/21・Vol.14 1981年の小笠原




今はなき、境浦の沈船...

 右の写真は、ロクセンスズメと枝珊瑚。場所は、20数年前の小笠原。ちょっと天気が悪いのと海の中なので、薄暗い。しかしここは、波打ち際からほんの10mくらいで、水深は2〜3m。素潜り(アクアラングと言われるものをつけず)で、撮影したもの。枝珊瑚は、正に密林のようで、近寄るとロクセンスズメなどの小魚はその中に隠れてしまう。大きくても12〜3cm、小さいものは1cm以下。とてもかわいい、魚たちです。
 一方、左の写真は、水深10mほどから海面を見上げた写真。波の様子がよくわかる。黒く見えるのは魚達。台風が近づきつつあり、翌日の海の中は洗濯機の中のようでありました。
小笠原へ行ったのは、昭和56年の7〜8月。その時の年齢と同じだけ年を重ねた自分がいる。ふと、懐かしくなって当時のアルバムを見てみる。やっぱ、20代の腹には脂肪があんまり付いてないや...

 さて、この文章を書いたのが2〜3年前だったと思うが定かではない。真ん中の沈潜は境浦で撮ったもで、当時はほぼ原形を残していた。あの時、何故ここで潜らなかったのか。近くからエントリーできるところがなかったのか。今となっては思い出すすべもない。
 この小笠原へのダイビング旅行は、和田さん・長の3人で3航海だった。およそ20日近くだったと思う。もっとも、小笠原へは船で28時間近くかかったので、往復3日は船上だったろう。学生だからこそできた、潜るためだけの時間的に贅沢な旅だった。費用は、全部で20万円かからなかったと思う。当時の私たちには大金であったが、かけがえのない想い出はその金額の何十倍もあるである。
 まず、初日午後1時半頃に二見港へ小笠原丸は着岸した。そこから民宿がある奥村までは、来るまで10分くらいだろうか。一休みするまもなく、民宿から歩いて5分くらいの海岸へ行く。この日はスノーケリングだ。岸から20mくらいまでは、枝珊瑚の林。上のロクセンスズメの場所である。その先からズンと深くなり、水深30mくらいとなる。透明度は20mくらいあり、魚影も濃い。しばらくプカプカしていて、ふと後ろを振り返ると、なななんと、ハンマーヘッド。ソレも2mを有に越えている。わずか3mほどまで近づいてきて、思わず目があった。その時は蛇ににらまれた蛙のごとく、全く身動きできなかったよ。幸い彼は空腹でなかったのか、何事もなかったかのように去っていった。その後も、1.5m級のハンマーヘッドや1m級のエイなど、存分に目を楽しませてくれたのである。ちなみに、水深1mくらいの所に落ちていたのは、飛行機のラジエータであった。第2次大戦の名残だろうか。
 その後、山田船長さんにお世話になったり、3人乗ったらいっぱいの船頭さん付きの船外機付きをレンタルしたり、ダイビング三昧の日々を過ごすのであった。民宿の隣からジムニーをかりてシマ中、走り回ったこともある。もちろん、波打ち際も軽快であった。そんな時に知り合ったハーフっぽい綺麗な女の子は、「島の子よ」と言っていた。この旅行では、いろんな女の子と知り合った。でも、私は海に夢中で、一緒に潜ったり、飲みに行ったりはしたけど、住所や電話番号は聞かなかった。もちろんのこと、Hもなかったのである。が、一緒に行った長は、しっかり連絡先をメモしていたらしい。その後は、知らないが...
 この旅のことは、書き始めたらキリがない。このころは、ほぼ毎週土日は海にいた。まさにウミンチュであったのだ。当時2Kgのウェイトで潜れた私は、今10Kgつけても沈まないのではあるまいか...