旅行記[2004/04/18・Vol.12 真鶴 その 2]




原生林は、静寂そのもの...

 誰もいない。街の音は何も聞こえない。波の音も聞こえない。ただ、風の音だけ。たまに、鳥のさえずりが聞こえる。久しぶりだな、こんな静寂は。しかし、そこここに大きな樹がある。幹周りは何メートルもあるだろう。中には、幹の直径が2mを超えるものもある。すっかり海のことは忘れて、山と森に抱かれる。ふと、テレビで見た屋久島を思い出す。いずれ、屋久島も訪れてみたいところの一つだ。さて、何年先となる事やら...
 灯明山の頂上を目指そう。この山は、350年くらい前に三間四方の小屋を建て明りを灯し、灯台の替わりとした事からこの名が付いたらしい。ハァ、ハァ息を切らし登り切ったが、ホントは大した高さではない。まだ、歩き始めてから30分と経たないのだ。日頃の運動不足が身にしみる。登り詰めたが、周りは高い木立に囲まれ景色は見えない。左へ行くと「小鳥の池」があり、その先には「三ツ石」がある。真っ直ぐ行くと「番場浦」。25年ほど前、ダイビングの講習で来たことがある。当時は、「石切場」と言っていたのは記憶違いだろうか。
 ホッと一息入れてから降り始める。緩やかな下り坂をしばらく降りると、遊歩道の右側に何か石像のようなものが見えた。入口はロープで立入禁止のようになっている。周りには、誰もいないさ。当然のごとく、ロープの脇から入っていく。そこに現れたのは、ハープを抱えた天女二人の像だった。コンクリートの像はかなり傷んでおり、ひび割れが目立つ。一方の像の指は崩れ落ちていて、何とも痛ましい。この像の周りも鬱蒼と木が生い茂り、周りから見えないだろう。伏せ目がちな天女の目からは、何が見えるだろうか。ちょっとだけ、センチな気分になった。
 天使の像から遊歩道に戻り少し降ると、「楽しさいっぱい 真鶴半島」と石の案内板があった。その正面に「片山哲」の詩碑がある。その公園からは、海が見える。真中に港を目指して船が戻ってくるが、写真では判りづらい。快晴なら、先の方に「三ツ石」が見えたことだろう。今回のアルバムは、この写真でおしまいだ。「中川一政美術館」についても次回に譲ろう。セザンヌやゴッホに影響を受けたのは一政だが、パリの印象派の彼らが「浮世絵」に強く影響を受けたのはご存じの通りだ。真鶴は、海有り、森有り、芸術有りの半島だ。車で行くと混雑で大変だが、あなたも電車で出かけてみてはいかがだろうか。




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