画家再発見[2002/06/01・Vol.07 Escher]





頭がクラクラ、目がチカチカ...

  エッシャーをご存じだろうか。一般的に有名なのは、騙し絵である。アルバムを見ていただければ、どこかで見たことがある絵があるのではないだろうか。「絵」と書いたが、実際には木版やリトグラフが多い。パッと見ると普通の絵のように見えるが、どこかに違和感が残る。そしてよく見ると、「あれっ?」と思い、現実的にはあり得ないことに気づく。水が高いところから低いところへ流れる、そんな自然の摂理はふまえているのだが、よくよく見ると落ちた滝の水が流れていく先が、また滝につながっている。そこで、思わずニヤリとするのである。はたまた、普通の柱に見えるのだが、どうもおかしい。一階から二階へ登るはしごが、何の変哲もなく見えるのだが、一階の左右のすみの柱を除く6本の柱は上下でねじれている。手前から後ろへ、後ろから手前へ交差しているのだ。やはり、ニヤリである、
 他にも平面分割など、奇妙な絵が沢山ある。しかし、数年前に見た展覧会で一番印象に残ったのは、何の変哲もない花瓶(壷)の版画であった。騙し絵とか平面分割のエッシャーを知っていると、その版画がエッシャーのものだとは思わないような、平凡な木版だった。しかし、何とも存在感がある。版画とは印刷の原点のようなもので、画集にしてもたいして変わらないだろうとたかをくくっていたが、全く違うのである。これは、言葉や写真で表すことはできない。そんな何かを感じるためには、実物を見るしかないだろう。やっぱり、芸術は本物にふれるしかないのだ。いや、それだけの力を持っているものだけが、本物の芸術なのではあるまいか。