画家再発見[2002/05/10・Vol.04 Gogh 2]




誰もが知っている、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。

  問題にならなかったかも知れないが、前回の絵はゴッホによるものである。ゴッホのことは、語り尽くされていると言っても過言ではあるまい。だから、自分の感じたことだけを書いてみよう。
 むかし、小学校の頃か中学かは忘れたが、美術の教科書にゴッホの絵が載っていた。教会の絵だったような気がする。その時は、その小さな絵に感じるものは余りなかった。一番記憶に残っているのは、何年か前にNHKの日曜美術館と言う番組で、ゴッホの特集をしていたのを見たときである。その時は、弟のテオへの手紙を俳優の米倉さんが朗読していた。大変にショッキングだった。ゴッホの絵は、手紙を読んでから見るべきだと思ったものである。
 その数日あとに、安田火災ビルにある東郷青児美術館にゴッホを見に行った。そのひまわりの絵からは、何かとても悲しいものが発散されているような気がして、涙があふれて仕方がなかった。今は、それほど純粋に見ることはできないかも知れない...
 さて、上の自画像は、1887年にパリで描かれたものであり、ボール紙に油彩である。顔とそれ以外の筆のタッチの違いが大きく異なる点が注目である。
 下の絵は、安藤広重のコピーである。1887年にパリで、カンヴァスに油彩で描いている。構図自体は、元になる版画を透き通った紙に写し、そこに方眼を引く技法を使ったためかなり正確である。しかし、コピーを作るためではなかったことは、絵を見れば一目瞭然であろう。
 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ[Vincent Van Gogh]は、英語の発音である。本来であれば、フィンセント・ファン・ゴッホとオランダ語での発音で書くべきであろうか。みなさんも、テオドルス・ファン・ゴッホへの手紙を読んでみてはいかがだろうか。