雨の日には[2004/02/22・Vol.02 Alfaromeo Julieta]



アルファ・ロメオの月...

 動かなくなったシムカを廃車したのは、二月に入ってからだった。カシアス・クレイが新チャンピオンになった翌日だったと思う。僕の手には、[SIMCA]の文字と燕のマークのキーホルダーだけが残った。それを見ると、かつて瑤子が「雨の日にこそ車はみがくものだわ」と言っていたことを思い出す。やがて冬が過ぎ、重いコートを脱ぎ捨てる頃、僕は新しい車と出会った。

 20代の終わりの僕は、一年ほど前から放送作家として番組のタイトルに名前が出るようになった。とは言っても、必ずしも仕事は順調ではなかった。やがて四月の始め、麹町の喫茶店で思いがけない人物と知り合うことになった。彼は40歳を少し過ぎた作曲家で、新たに始まる番組の楽曲を担当していた。彼は日本人離れした彫りの深い顔立ち、白いシルクのシャツやペイズリーのタイなど、いつもセンスが良かった。そんな彼がどういう訳か僕を気に入ってくれ、よく食事に連れて行ってくれた。それは僕が一度も足を踏み入れたことのないようなレストランやクラブだった。
 ある時、彼に誘われ自宅に行った僕は、一目でその娘に惚れてしまった。ジュリエッタ、彼女を手に入れるためなら僕は何も惜しむものはないと思った。優雅で、しなやかで、流麗で、単純無比に美しい。僕は何度も通い詰め、ついに彼から譲ってもらう約束を取り付けた。

 ある日ジュリエッタを取りに行くと、奇妙な女の子が待っていた。彼女は圭子と言い、「この車を私に譲ってくれる気はない?」と言った。「何年も前から狙っていたのよ。あなたに横取りされるなんて許せないわ」と。少し同情したが、ジュリエッタを譲る気は全然なかった。
 僕が代金の一部を渡し車庫に戻ると、なんとさっきの娘が、百年も前からそこにいるように助手席に座っているのだ。彼女は、「家まで送っていくように」と当然のように命じた。僕はちょっとムッとしたが、ジュリエッタを手に入れたうれしさと、少し彼女が可哀想でもあったので彼女を送っていくことにした。

 そんなことで圭子とつき合うようになった僕は、振り回される日々を送っていた。かといって、1週間も圭子とあわないでいると仕事も手に付かない。しかし、僕は圭子にだんだん疲れていった。
 彼女の気まぐれは、月の満ち欠けに影響されるという。ある時は情熱的に、ある時は冷酷に。そんな圭子と別れた後、僕は雨の日にも、月の夜にも車をみがくようになった。