五木寛之[2012/02/12・Vol.33 金沢ものがたり]



主計町あかり坂...  「あかり坂は、あがり坂−」

 金沢の主計町は、浅野川沿いにある。主計町と書いて、「かずえまち」と読む。一時、尾張町2丁目の一部となっていたが、1990年に全国初となる旧町名が復活した町でもある。かつて、加賀藩士富田主計の屋敷があったことが町名の由来だそうだ。

 JR金沢駅から大通りを真っ直ぐに進むと「武蔵」と言う信号があり、その角にあるのが「近江町市場」だ。新しくなってから行ったことはないが、昔は地元向けのお店の通りと観光客向けの通りがあった。北陸のお土産と言えば海産物で、「ブリ・ズワイガニ」が沢山並んでいたことを思い出す。
 その信号を右に曲がってしばらく行くと「香林坊」であり、市の中心部と言っても良いだろう。「香林坊」の信号を左に曲がり、「金沢21世紀美術館」を右に見る交差点が「広坂」で、左に曲がった左手が「金沢城址」、右手は「兼六園」となる。
 一方、「武蔵」の信号を真っ直ぐ国道159号線を行くと、「橋場」と言う信号に突き当たる。右角には「金沢文芸館」があり、左手の裏道には「泉鏡花記念館」がある。この信号を右に曲がったすぐ左手には「金城樓」がり、この小説の主人公の一人「高木凛(たかぎりん)」が芸妓「りん也」として初めてお座敷に上がった料亭である。
 「橋場」の信号を左に曲がると浅野川大橋があり、そのたもと、左側にあるのが主計町である。橋を渡った右側にある通称「ひがし」の茶屋街と比べると1/4ほどの小さな旧茶屋街である。

 主計町は浅野大橋側からはいる道が中の橋の方へ続いている。メインの道はこの通りであるが、その裏にもう一本小径がある。観音様の源法院がある裏通りだ。この小径は真っ直ぐ行くと突き当たり、右に折れる。すると木津や旅館の手前で川沿いの道にぶつかる。
 その突き当たりの少し手前に左に入る道があり、その角には昔の検番がある。そして、「暗がり坂」の石の標識がある。登っていけば、久保市乙剣宮の裏手に出る。
 もう一本源法院よりにあるのが「あかり坂」である。けれども、そこには標識もなければ、なんの案内もない。少なくともこの小説がでたころには何もなかった。

 そんな主計町が舞台になった「金沢ものがたり・主計町あかり坂」。短編なので、これだけで本になることはない。「オール読物」の表紙には、「待望の小説!」と書いてある。さて、次の「金沢ものがたり」を読むことはできるのだろうか?
 もう、五木さんも80歳に成るのだろう。1932年生まれだものなぁ。これからも、まだまだ元気で『エンターテイメント』を書いていただきたいものだ。
そうだ、読み物を書いて欲しいのだ。

 また、金沢文芸館へ行くことはあるだろうか...



Data:金沢ものがたり(平成20年4月オール読物)
平成20年→2008年