五木寛之[2005/05/06・Vol.28 さらばモスクワ愚連隊]



アンビバレンツな美学、それがスイングだ!

 ソ連民間航空のTU114は、雲海の上をねばり強く跳び続けていた。そんな書き出しで始まるのが、〈さらばモスクワ愚連隊〉である。

 新潮文庫『い-15-16』には、表題の外〈GIブルース〉〈白夜のオルフェ〉〈霧のカレリア〉〈艶歌〉の五つの短編が収められている。そして、巻末には珍しく作者の後記がある。
 作者は言う、「私はもちろん、文学をやる積もりでこれらの作品を書いたのではない。私が夢みたのは、1960年代という奇妙な時代に対する個人的な抵抗感を、エンターテイメントとして商業ジャーナリズムに提出することであった」と。
さらに「つまり〈読み物〉を書いたつもりである」と書く。1967年1月のことであった。

 当時30代半ばの作者は、自分の人生に一線を引くべく金沢へ移り住んだ。一方、この小説の主人公〈北見英二〉は、30歳になる頃、ピアノ弾くことを捨て、ステージを降りた。
 プレイヤーからブローカーになった彼は、昔の友人からモスクワのでジャズ興行を依頼される。
北見がモスクワで初めにあったのは、白瀬二等書記官だった。学生時代に北見の熱烈なファンだった白瀬は、尊大な官僚であり、素朴な青年でもあるのだった。東大受験に始まり、外交官試験に終わる青春。恋愛も、学生運動も敬遠した地方の秀才。そんな白瀬の唯一の楽しみが、北見のラジオ番組だった。
 そんな白瀬に連れられて、豪商モロゾフが建てた邸で、ソ連対外文化交流委員会のダンチェンコ部長と会う。ダンチェンコは、不思議なほどの優雅さでショパンを弾く。そして、「これが本当の音楽です。芸術です」と軽くテーブルを叩いた。
 その時、北見をピアノに向かわせたのは何だったろう。イントロ無しで弾きだしたのは、〈ストレインジ・フルーツ〉。
哀れで滑稽な、〈奇妙な果実〉。ピアノを弾きながら北見は、赤茶けた朝鮮半島の禿げ山を思い出していた。13歳の夏のことだった。

 さて、この物語の主人公は北見であるが、主題の愚連隊はミーシャである。〈赤い鳥〉でペットを吹き、エルザにいかれてるモスクワの青年。
少年と言った方がいいかも知れない。そんなミーシャに、北見は何を見たのだろうか。それは忘れたはずの、スイングへの郷愁だったのかも知れない。



Data:さらばモスクワ愚連隊(昭和42年1月講談社刊)
新潮文庫「い-15-16」、昭和57年6月15日発行
昭和42年→1967年