五木寛之[2004/01/12・Vol.23 大人の時間]



ロドリゲス、プイグ、バウシュ...

 皆さんは『ファド』をご存じだろうか? 
諸説あるが、簡単に言えばポルトガルで生まれた都市歌謡とでも言うのだろうか。
1999年に亡くなった「アマリア・ロドリゲス」はあまりにも有名だ。
一方、プイグの小説は、初め映画監督を目指していたゆえに『蜘蛛女のキス』のような小説が書けたのだろうと言うのは作者の言。そして、ピナ・バウシュ。この舞踏家のダンスは、あくまでも自由である。
 しかし、正直言うと私にはよくわからない。わかろうとすること自体、意味のないことかも知れない。ただ、自由に感じればいいのかもしれないね。これらが、小説の横糸となって登場する。

 『大人の時間』と言う小説の冒頭は、ロドリゲスの東京公演の場面から始まる。ここで、北見優子と高野旗江が知り合うことで、小説は展開していく。
 優子はもうじき40歳で、旗江は48歳。ともに家庭を持ち安定した生活を営んでいる。
 一方、夫は高野祐介と北見伸夫である。伸夫は横浜でオートサロンを営むゴルフ好きの中年だ。
 祐介は昔は映画青年であったが、何度も挫折しかけながら何とか今の生活を支えている50代半ばの男である。
彼のお気に入りの店は、東銀座に近い「ヒポカンパス」。ママは「竜子」と言い、通称は「ヒポ」だ。祐介は、このママからお見合いを勧められる。
と言うより、姪のお守りというか、1年間だけ面倒を見てくれと頼まれるのである。
祐介は、娘と同い年の鮎子と言うその娘にだんだんと惹かれていき、奈良への旅行で男と女の関係となってしまう。
しかし、鮎子にとっては、それは人生の一通過点にしかすぎず、一年たったら故郷に帰り、田舎での生活に戻るのだ。若い一時期にいろいろなことを教えてくれる足長おじさん的に祐介をとらえているのだろう。
が、当の祐介は重く受け止めてしまう。結局はある意味ピエロであり、初老にさしかかった男の悲哀の物語である、と言う受け止め方もできるのではあるまいか。

 この小説の中で、男たちは仕事にすり切れ、女たちは自分の人生を見つめ直す。したたかなのは女であり、むなしいのは男である。
何となく、雌のカマキリが雄を食べてしまうのを思い出してしまった。
 この小説の本題はそう言うことではなく、「本当のことを言うこと」など別のところにあるのだが、文中に「性交を終えたる後、すべての生物は哀し」と出てくるところを読むと、やはり雌より雄の方が哀しいのではあるまいかと思ってしまうのであった。



Data:大人の時間[上・下](昭和62年9月新潮社刊)
新潮文庫「い-15-27」、平成2年8月15日発行
平成2年→1990年