五木寛之[2003/10/05・Vol.21 浅の川暮色]



暮れゆく川面を眺めながら...

 朝倉摂(あさくらせつ)さんをご存じだろうか。大正11年生まれで、舞台美術や衣装デザインなどで有名だ。
最近では映画『梟の城』の衣装デザイン、1995年の『写楽』では衣装デザインと時代考証、1992年にはミュンヘン国立歌劇場で市川猿之助演出の『影のない女』の美術担当、2000年のセントルイス・オペラ劇場では『源氏物語』の美術・衣装など枚挙にいとまがない。この朝倉摂さんが表紙をデザインしているのが『浅の川暮色』である。

 金沢の主計町の浅川沿いには、五木寛之の碑「浅の川暮色」があるという。この短編集には、他に『帝国陸軍喇叭集』『ボンジョールノ野郎』など6話が納められている。

 この小説は、自分の将来を半ば諦めた男が、若い頃に過ごした金沢に仕事で戻った折り、自分の記憶の奥深くに閉じこめたその出来事だけが真の人生であったと回想する物語である。
 別れ際に女は「あんなことまでしておいて」とかすれた声で言う。そのとき主人公の森口は、とても大切なものを失おうとしている、と感じると共に背中の荷が降りたようなホッとした感じを抱き立ちつくす。
重くどんよりとした北陸特有の空のように、重苦しいまま小説は終わる。この感覚は、冬に北陸を訪れてみなければわからないかも知れない。

 さて、甘鯛の若狭焼きという料理がある。海から遠い京では新鮮な魚が手に入りにくい。北陸の若狭から塩魚が一昼夜掛けて運ばれてくる。これがちょうど水けも抜け、絶好の素材となる。この若狭の塩魚を京の調理法の特徴に取り上げたのは、なんと22代西本願寺門主の大谷光瑞と言う。
 若狭焼きとは「ぐじ(赤甘鯛が最高)」を三枚に下ろし鱗ごと焼くのだ。もちろん熟練の技が必要で、そうでないと鱗が立って台無しとなる。この辺は『美味しんぼ(43巻)』をご覧いただきたい。

 話の繋がりは越前若狭は今の福井県で、戦国時代に朝倉義影に納められていた。で、朝倉へ話が戻ってくるわけであるが、朝倉摂さんは東京・下谷生まれであり、北陸との関連は知らない。
 なぁんだと思われるかも知れないが、朝倉摂さんの美術と若狭焼きの話で蘊蓄を傾け、今宵も一杯やろうではないか。
それともお気に入りの本を読みながら、グラスを傾けるかな。
ちなみに蘊蓄とは「十分研究を積んでたくわえた学問など深い知識」とあり、蘊も蓄もたくわえるの意味がある。
 さて、秋の夜長をあなたはどう過ごしますか?



Data:浅の川暮色