五木寛之[2002/05/11・Vol.04 冬のひまわり]



グスタフ・クリムトとエゴン・シーレ...

 まず「冬のひまわり」について書かなければならない。この小説は、何度読み返しても、涙無くしては読み進めないスグレものなのだ。

 泣きたいときには、この小説を読もう!
などと書くと、非常に軽薄に思われてしまうかも知れないが、あらすじは書かない。ボリュームもそれほどなく、読みやすい小説なので、女性には是非読んでほしいと思う。僕はこの小説を読んで、五木さんにはまっってしまったのだ。

 さて、何が「クリムトか?」と言えば、表紙の「ひまわり」である。
「Die Sonnenblume」と言う絵の一部であるが、下を向いているひまわりの花が何とも寂しい。小説を読んでいただければ、もっと感じるモノがあるだろう。クリムトは、世紀末とか退廃的とか言われる。
はたして、そうなのだろうか?
僕は、そうは思わない。女性や愛を称えている絵が多いように思う。勝手な解釈でしかないかも知れないが、みなさんもいろいろな絵を見て感じてみてはいかがだろうか。

 どうも、日本ではクリムトとシーレは対をなすことが多い。
そして、シーレは退廃的と言うより、「性」そのものを描いている。上の絵は、「悲しみの女(Trauernde Frau)」と言う。五木寛之の中に、シーレとこの絵を題材とした「哀しみの女」と言う小説がある。こちらも、読んでいただきたい。さて「かなしみ」とは、どちらの漢字がよりぴったり来るであろうか。それは、実際の絵を見た人、小説を読んだ人の「こころ」におまかせしよう。

 決して、五木さんから広告宣伝費をもらっているわけではないが(そんな必要もないだろうし)、お薦めしたい本がいっぱいある。
そして、その小説それぞれに、「絵画」であったり、「音楽」であったり、「自動車」であったり、「こころ」であったり、僕の興味を広げてくれる。小説自体のおもしろさに加え、趣味まで広げてくれる作家はそれほど多くはないのではあるまいか。



Data:冬のひまわり(昭和60年9月新潮社刊)
新潮文庫「い-15-22」、昭和63年8月25日発行
昭和60年→1985年